【読書メモ】エドワード・W・サイード『知識人とは何か』
- 作者: エドワード・W.サイード,Edward W. Said,大橋洋一
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1998/03
- メディア: 単行本
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サイードのいうアマチュアとは、組織(権力)に属さず、個人の意見を語ることを指す。
そして、個人の意見を語る以上、そこには何らかの個人的な曲解なり感性があるため、必然的に聴衆を逆撫でしたり、困惑させてしまうという。
全体を読んだ感想として、湾岸戦争が論旨に大きな影を落としており、そのせいで少し読みにくい。
知識人、アマチュアリズムという言葉を利用する意図には同意できるが
多用される「権力」、「体制」という言葉が、彼が批判する想像されたナショナリズム・人種に関する概念と同じく、捏造された概念という気がしてならなかった。
■知識人について
まず、つけくわておかなければならいのは
本書がかかれた時代でも既に「知識人」とはカビが生えた言葉であり、サイードはそれを再定義しようとしているということである。
「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力者に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」
「わたしにとってなにより重要な事実は、知識人が、公衆に向けて、あるいは公衆になりかわって、メッセージなり、思想なり、哲学なり、意見なりを、表象=代弁(レプリゼント)し、肉付けし明晰に言語化できる能力にめぐまれた個人であるということだ。」
「知識人の活動の目的は、人間の自由と知識をひろげることである。このことは、いまもなお真実であるとわたしは信じている。」
「知識人はマルコ・ポーロに似ている。マルコ・ポーロは、いつも驚嘆の感覚を失うことはなく、つねに旅行者、つかのまの客人であって、たかり屋でも征服者でも略奪者でもないからである。」
■アマチュアリズムについて
「アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒賞によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。」