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しがないサラリーマンのしがないブログ

なぜ動画を見るのは楽で、読書はストレスなのか(小説を除く)


私にとって、読書の苦しみ、というよりも文章を読む苦しみの大きな理由は、没頭できないことです。

私は、読書をするだけの集中力がないときは、ついつい動画を見てしまう癖があります。
これは単に読書が一定の集中力を要するからという理由だけではないようです。

YouTubeであれNetflixあれニコニコ動画であれ、動画を見ている間は我を忘れることができます。
しかし、読書とは常に自分の意識が存在している状態に感じ、これが私にとってのストレスであるようです。
※小説は我を忘れることができるので、この意味での読書には含みません。

 

このストレスから読書という行為を考えてみると、読書とは、自分の認識を常に確認しなければならない行為であり、よく言われることですが、コミュニケーションであるということを認めざるを得ないようです。

私は、著者の意見に常に疑問を持つといったような批判的な読み方はあまり実践したことがなく、むしろ著者の意見を鵜呑みにするほうです。
また、読書とは著者との対話であるという比喩にも懐疑的でした。
しかし、自分が読書のときにかかえるストレスを考察すると、少なくとも私にとって読書とは受動的な行為ではないようです。

私にとって読書とは、山を登るように、まさに「読み進める」という言葉がしっくりくる行為です。
一方、動画を見るということは電車に乗って流れる景色を見ることと言えるかもしれません。

読書に際しては、自分の意志をもって、足元を確認しながら、歩を進める必要があります。